続・ツッコミ待ちの町野さん
#34 雰囲気イケメンくん好きな町野さん
「あの花はいつも、いつの間にか散ってるな」
八木が部室の窓際で、校庭の一本桜を眺めながら言う。
僕は床にドミノを並べる手を止め、窓の外に目を向けた。
始業式には満開だった桜も、二週間たって散り始めている。
「人間の寿命に換算すれば、桜が咲ける時間は三年くらいなんて言うね」
「『だから悔いのない高校生活を送れ』って? 大人のポジショントークかよ」
「そんな面白い髪型でも、反抗期ってあるんだ」
八木は容姿いじりを欲しがるタイプなので、僕は友人として時代に抗った。
「中学も三年だろ。大学も四年だ。大人にだって区切られた期間はある。時間はどの世代にも等価値なんだから、『高校三年間』だけ特別はおかしいだろ」
「大人はみんな後悔があるから、よかれと思って言ってくれるんだよ」
「後悔があるなら、鏡に向かって言うべきだ。人生に『遅すぎ』はない」
「ビジネス書に巨大フォントで書かれてそうな薄いワード」
「ともかく、無駄にダラダラすごして後悔する権利を俺から奪うな!」
「よかった。着地点はいつもの八木だった」
僕は胸をなで下ろし、再びドミノに向き直る。
「というわけで二反田、部活サボってワック行こうぜ。俺たちの青春はそれでいい」
「一年前にもこんな展開あったね……ん? ワック?」
「ああ。テストの打ち上げとか、よく行ってただろ」
「いや、あれは『マック』だったけど」
「なんだよそれ。前からワックだろ。ワクドナルド」
「急な商標配慮……もしかして、僕の人生アニメ化した?」
なんて首を傾げたところで、部室の引き戸が開いた。
「こんパン。お、今日は八木ちゃんもいるね」
現れたのは、制服のスカートにジャージを羽織ったポニーテールの女子生徒。
いつもはちくわのはずなのに、今日はなぜか食パンをくわえている。
「こんにちは、町野さん。転校生にぶつかるなら、朝のほうがいいと思うよ」
「は? 意味ワカランパサラン」
「ありそうでないギャル語」
「食パンなんて、いつもくわえてるだなも?」
「突然の高利貸しタヌキ口調……おかしい。ボケの傾向がいつもと違う」
状況をつかめずにいると、ふいに八木が言った。
「なあ、町野さん。この二反田は、パラレルワールドの住人なんじゃないか」
「あーね。年越しジャンプで着地の座標がずれると、違う世界線に行くやつね」
どうやらそういう設定のコントを、ふたりでしかけてきたらしい。
「ゲームのグリッチみたいに……そもそも僕は、年越しジャンプしたことないよ」
「「は?」」
八木と町野さんが、同時に僕を振り返る。
「マジか二反田。まさかおまえ、よからぬことを考えていて、ふと周囲にエスパーがいるかもしれないと思い、慌てて心の中に『無』を作りだそうとしたことも――」
「ないよ。たまに闇を感じる八木の心理が垣間見えたよ」
「じゃあ二反田って、電車の窓を流れる景色に自分を走らせたことも――」
「ないよ。みんな町野さんほど、自分が忍者になれると思ってないよ」
僕の訂正に、八木がため息をつく。
「なんてつまらない男なんだ、二反田。『冷笑主義なぼく、かっくいー』か」
「僕だってそれなりに無駄を愛してるよ。証明するから普通の『あるある』をください」
「じゃ、めっちゃ普通のやつね。『自分で前髪切って大失敗』」
町野さんに言われて、はてと考える。
「……ないかも」
「マジかよ。じゃあ『面倒だから手を使わず靴下脱いで余計に時間がかかる』は?」
こういうのだというように、八木が足先で演じる。
「……ないね」
言いながら、ちょっとぞくりとした。コスパを重視しているつもりはなかったけれど、振り返ると非効率に対して冷笑的な立場にいた気がする。
「じゃあ今日からやってみよう! 大丈夫。ここは二反田にとってパラレルワールド。旅の恥は掻き捨て的に、無駄なことをしてみんとてするなり!」
「うっすらつまらないキャラを演じてまで、町野さんが設定を推してきてる……」
「というわけで、二反田。女装してみんとて?」
「そういう流れか……お断りします」
「そっか。じゃあやめるね。女装断ったなら、男装はいいってことだよね」
素直に引き下がった町野さんに、僕は眉をひそめた。
「一回断らせてから本命を出す詐欺のテクニック……? 男装って、コスプレってこと?」
「うん。二反田にはいまから、『雰囲気イケメンくん』になってもらいます」
「雰囲気イケメンくん」
「いるでしょ? サラッとした前髪をクリップで留めてる、ナルシシズム全開男子」
そうなっている自分を想像して、僕は心に浮かんだ感情を叫ぶ。
「いやだ! 女装よりいやだ!」
「はぁ? こいつマジで言ってんのぉ?」
「そんな『逃走中』で自首する芸能人に『空気読め』って言っちゃうピュアで残酷な小学生の目で見られても、いやなものはいやです!」
「すまない、二反田。俺は今日、どうしても腹を抱えて笑いたいんだ」
八木が僕の背後に回り、両肩を押さえつけてきた。
「くっ……呪ってやる! 今後のお弁当についてくる醤油、ぜんぶ信玄餅の黒蜜になれ!」
「あはは、最悪。やっぱ二反田、追いこむと面白いねー」
町野さんが快活に笑いながら、僕の髪をブラッシングする。
かくしてボサ頭だった僕の髪はサラサラになり、前髪はクリップで横に流された。
「ぶはははははははははは! ふつくしい! ふつくしい! ぶはははは!」
八木は抱腹絶倒した。
「……あはははははは! 片腹痛い! 片腹痛い! あはははは!」
町野さんは笑うまいと耐えていたけれど、結局は泣くほど笑いだした。
「ぶっははは! こうさ、無表情で鼻の下のとこが強調されてる感じが、ぶっははは!」
「それ! あはははは! 二反田、ここなんて言うんだっけ?」
町野さんが、笑いながら自分の鼻の下を指さす。
「人中」
「「あはははははは!『人中』! あはははは!」」
今日は人生で一番人を笑わせた、否――笑われた日だと思う。
「うう……いやだ……自分がかっこいいと思っていると思われていそうでいやだ……」
僕の独白に、ふたりがまた爆笑する。
「二反田、一枚だけ撮らせて。また後輩やってあげるから」
「義務後輩はノーサンキュー」
「お願い。誰にも見せないって約束するから。どんなにつらいことがあっても、雰囲気イケメンくんの画像を見たら、わたし笑って立ち直れるから……QOLも上がるから……」
そんな風に頼まれたら、チョロ陰の僕はうなずかざるを得ない。
「うっふふ。八木ちゃんの『ワック』に乗っかる形で食パンくわえて始めた無軌道コントだけど、こんなオチになるなんて思ってもみなかったよ」
八木が帰ったあとも、町野さんはまだ肩を震わせていた。
「そうだね……僕がイケメンだったら、ここまで人を笑わせられなかったね……」
町野さんが、ふいに真面目な顔になる。
「違うよ。二反田が『かっこよくなることはかっこ悪い』って思ってるから、こんなに笑えるんだよ。わたしは容姿に努力してる人を笑わないし、二反田も素材はいいよ」
「町野さん……」
なんかいい話になりそうだったので、僕はスチャッと前髪をクリップで留めた。
「あははははははは! 卑怯! 卑怯!」
町野さんは目を三日月形にして、涙を流す勢いで笑っている。
正直ここまで笑ってもらえると、やってよかった気さえしてきた。
逆に言えば、やらなかったら数年後に後悔するのかもしれない。
大人が言う「悔いのない高校生活」は、まっとうな青春でなくてもいいのだろう。
「見て見て、二反田。スマホの待ち受けにしちゃった」
「最速の約束反故!」
「前髪クリップ雰囲気イケメンくんを待ち受けにすると、金運アップするんだって」
「身代金を払えって言ってる?」
「じゃ、部活行ってくるね。あはははは」
明るい笑顔で去っていく町野さんを、僕はどこかむずがゆい気持ちで見送った。