天嬢天華生徒会プリフェイズ
7 その③
その日の夜にはもう、学園の各種ニュースサイトや新聞で『アルケリリオン廃校の危機?』だの『会長お膝元から生徒大量離脱』だのといった見出しが乱舞していた。大衆がゴシップを愛するのは日本と変わらず、だった。
あまり見たくない話題だったけれど全部チェックした。スパイの正体につながる情報がなにか見つかるかもしれないからだ。でもそんな都合の良い話はなかった。
今のところ凰華や竜胆やアルテに実害は出ていない。
しかし、気分の悪い事件だった。早く解決してほしかった。
身内を疑うときのやるせない苦みを、身内に裏切られたと知ったときの骨がすうっと中空になっていくような底冷えを、彼女たちには経験してほしくなかった。あんなもの、知らないままの人生の方がずっといい。
といって、ぼくが役立てることはなさそうだった。
天涯学園についてはまだまだ知らないことだらけだし、証券取引にそこまで詳しいわけでもない。
生徒会顧問なんて名ばかりだった。
夕食を数枚のクラッカーとコーヒーだけで済ませ、シャワーを浴び、学園に関する色んな資料を読み込む。眠気はなかなかやってこなかった。
ドアにノックの音があったのは、二十三時少し前だった。
「先生、夜分遅く申し訳ありません」
ドアの外に立っていたのは凰華だったのでぼくは仰天する。
「……な、なんでこんな時間に」
「お邪魔させていただけますか。寮生に見られるとまずいので」
まずい。たしかにまずい。ぼくはドアを大きく開いて凰華を招き入れた。
彼女は薄桃色のフリルが肩口や襟や裾にたくさん入った白いワンピースを着ていて、それはもう言い訳のしようがない完全な寝間着だった。さらに首輪も変わらず着けている。深夜に教師の部屋に女子生徒がそんなかっこうで立ち入るなんて、もし公になったらぼくのまだ一ヶ月足らずしかない教師人生が終わってしまう。
「だめだろこんな夜中に! ていうかそのかっこうはなに? それでまさか家からここまで歩いてきたの?」
「いえ、今日はこっそり竜胆とアルテちゃんの部屋に泊めてもらっていて」
「そっか、なら大丈夫――じゃないよ! 寮生以外が泊まっちゃだめでしょ!」
「わたしはこの寮のオーナーですので、わたしがルールです」
唐突な王様ムーブ!
「わたしだって友だちといっしょにパジャマトークしたいんですっ」
「親御さんにはなんて言ってきたの……?」
「出かけますとだけ。天祿院の当代はわたしですから、家でもわたしがルールです」
絶大な権力に裏打ちされた子供のわがままだった。
「あ、ご安心ください。先生に『今夜、泊まっていってもいいですか……?』はまだ早いですよね。わかっています。あと二週間くらい関係を深めてからにします」
「なんで二週間後なら早くないと思ったのっ?」
「今夜はちゃんと午前五時に帰りますね」
「実質泊まってるよ! なんか用があるんでしょ、済んだら日付が変わる前に帰ること!」
凰華はしょんぼりして椅子に腰を下ろした。
きつく言い過ぎただろうか、と反省したぼくは、電子レンジで温めたミルクを出してやる。ありがとうございます、と微笑む凰華はすでにいつもの余裕を取り戻している。
「では、せっかくの先生のお部屋訪問タイムですけれど、野暮用を済ませることにします。卒権買い占めの件です」
「……ああ、うん」
「あれからさらに八人、ヴァーミリオンに転校しなければいけなくなったと連絡が来ました。おそらく明日以降、もっと増えるでしょう。たしかに痛手です。うちの生徒は優秀な方ばかりですから」
「珠音はアルケリリオンを潰そうとしてるわけ? でも、今いる生徒が何割か転校しちゃったところで学舎が潰れるほどじゃないよね。新入生だって入ってくるんだし」
「はい。ですが、手をこまねいていてはわたしの名に傷がつきます。珠音さんの狙いは、生徒の卒権を賭けて勝負を挑んでくるようにわたしを誘導することだと思います」
「そんな誘い、乗らなきゃいいだけじゃ」
「乗りますよ。ここで退くようでは王の資格はありません」
凰華は喉元の首輪に手をやって笑った。気概の張り詰めた笑みだった。
「もっと入念に準備をしたかったので不本意ではありますが、どのみち珠音さんは倒さなければいけない敵の一人です。……でも、その前に、スパイの件を片付けておかなければいけません。情報が全部筒抜けでは勝負になりませんから」
「……なにかわかったの?」
ぼくは声をひそめた。
こんな真夜中に、わざわざぼくの部屋にやってくるということは。
凰華は唇を引き締めてうなずいた。
「スパイがだれなのかは、つかめました。ただ、あまり信じたくない結果だったので、こうして先生の部屋にひとりで来てしまいました」
ぞく、と二の腕のあたりが震えた。
凰華に『信じたくない』と言わせるような、スパイの正体。
まさか、と思う。アルテと竜胆の部屋にいたのに、抜け出してひとりでここに来た。
あの二人のどちらか……?
「証拠はないんです。だから当人の口を割らせるしかない。そこで、また先生のお力をお借りしたいんです」
ぼくは凰華の目をじっと見つめ返す。
語り始めた彼女の声に耳を澄ませる。
たしかに、信じたくなかった。
スパイの正体も。凰華がぼくになにを望んでこの部屋に来たのかも。自分がその要求にすぐに応えられてしまうという事実も。
天井を仰ぎ、迷い、それから肩を落としてうなずいた。
「……うん。できるよ。ちょっと時間はかかるけど」