天嬢天華生徒会プリフェイズ

3 その③

 でもなあ――とぼくはため息をついた。

 教師になれると信じて無邪気に勉強にいそしんできたのに、蓋を開けてみればやらされるのはよくわからない囮捜査か……。


 しかし考えてみればエージェント平林に「ぼくみたいなのでも教員免許とれるの?」と訊いたときに革新的で実践的な学校だから大丈夫とかなんとか煙に巻かれたっけ。あの時点でなにか怪しいなと気づくべきだった。いや、気づいたところで他に就職の選択肢なんてなかったから結果は同じか。


 しかたない。しかたない。肩を落としてソファに身を沈める。


「あと、先生はこういう身分を隠しての秘密のお仕事、お得意ですよね?」


 フォローのつもりか凰華が言う。


「……ああ、うん、まあ」


 教職よりはよっぽどね、と自虐込みの皮肉を返しそうになり、ぐっと呑み込む。こんなぼくを雇ってくれて、信頼してくれて、ぼくにできる仕事を見つけてきてくれた凰華に、傷つけるようなことは絶対に言えない。


「ということで」と凰華は竜胆たちの方に向き直る。「みなさんも、おもてで先生との会話は控えてください。先生にはあくまでも影に徹してもらいますから」


「先生と話してはいけないのか。それは困る」


 竜胆が柳眉を寄せて深刻そうにつぶやく。


「なにが問題ですか、竜胆」と凰華。

「さみしい。せっかく顧問が来てくれたからみんなに自慢したいのに」


 ……知らないよそんなの! いや、顧問着任を喜んでくれるのはぼくもうれしいけど。


「ばかじゃないの」とアルテは口を尖らせる。「りんどーにはあたしがいるでしょ」

「ん……」


 竜胆はソファに腰を下ろしてアルテの小さな身体を膝にのせる。


「アルテだと歳上感がない」

「せんせーにも全然ないでしょ! 高校生みたいじゃない」


 わけわからん流れの中で的確に急所を突かないでほしい。


「服装のせいじゃないだろうか。もっと教員や研究員ぽい格好をすれば――いやそんなこともないか」

「あたしの白衣見てすぐ意見変えないでっ?」


 仲が良さそうでうらやましい限りだった。できればその輪の中に、このコミュニケーション難ありの琴吹緋奈乃を加えてくれればな、と思うのだけれど、自分から進んで輪に入っていく勇気を持たなきゃだめだろうな。

 微笑ましいやりとりに凰華が口を挟んだ。


「生徒会室にわたしたちだけのときには先生のことに触れても大丈夫ですよ」


 ぼくは息をついた。


「そうなんだ。よかった。ずっと息を潜めてなきゃいけないのかと思って」

「生徒会室でだけは大人っぽい服に着替えてくださってもいいんですよ? 来客があったときには早着替えで」


 やだよ。そんなめんどくさいことしたくないよ。

 と、竜胆がアルテの身体をひょいと抱え上げてこちらに近寄ってくると、ぼくの膝の上に腰を下ろした。三段重ねのいちばん下でぼくは混乱の極みに陥って硬直する。アルテも首をひねって状況を確認して真っ赤な顔になっている。


「なにしてんのりんどーっ?」

「先生に触れても大丈夫だと凰華が言ったから」

「触れるってのは話の上でってことでしょ!」

「そうだったのか。でもアルテはいつも乗ってくるから、歳上の膝には乗っていいものかと」

「だめ! あたしは特別!」

「先生は凰華にとっての特別だから私にとっても特別じゃないのか」

「そんな理屈言ってたら全人類特別になっちゃうでしょ!」

「世界平和」

「そんな簡単に実現しないから!」


 膝の上で言い合いをされて、潰されそうなぼくは身じろぎもできない。下手に動いたら二人が落っこちる。目で凰華に助けを求めるしかなかった。視線が合った凰華は――


「わ、わたしも! わたしも先生に抱っこされたいです! 体重は、その、胸の分だけ竜胆よりは重いかもしれませんけれどアルテちゃんを足した分よりは絶対に軽いので」


 助けてくれなかった。

 もはや頼りにできるのは我が生徒会庶務の肩書きしかなかった。緋奈乃パワー、頼む!


「あ、あのっ、緋奈乃こういうのいけないと思います、生徒会室がやらしいことする部屋だって噂になっちゃいます」


 アルテはびくっとして竜胆の腕から逃れ、そのまま絨毯の上にぺたりと座り込んだ。続いて竜胆もぼくの目の前からどいてソファに正座する。ついでになぜか凰華も正座。


「ごめんなさい先生……」

「抱っこはやらしいことだったのか……」

「やらしーことじゃないし……」


 並べて正座させて説教してるみたいな絵面になるからやめてほしかった。

 ぼくが喋るとほんとに説教になってしまうので、ここはしばらく緋奈乃トーク。


「ミーティングはこれで終わりですか? 緋奈乃はまだ学園に来たばっかりであちこち見て回りたいので、議題がもうないなら、これで失礼しますっ」


 よし。よく言えた。ぼくとしてもいったん生徒会室を出て頭を冷やしたかった。

 立ち上がり、両開きのドアに足を向けたぼくを凰華が呼び止める。


「あっ、待ってください緋奈乃さん――先生!」


 遅かった。ドアを開けてしまった。

 廊下は女子生徒で埋め尽くされていた。見慣れない他学舎の制服や私服姿ばかりで、アルケリリオンの制服姿は二、三人しかいない。みんな手に手にスマホやレコーダーやカメラを持って、目をぎらぎらさせている。


「天天テレビです! 生徒会顧問がついに決まったというのはほんとですか?」

「ZKB放送です! 凰華会長がまた新しい愛人をつくったと聞きましたが!」

「アルケ日報です! 先ほどから生徒会室でやらしい声がしていると通報が!」


 スクープに飢えた記者たちが殺到する。琴吹緋奈乃という存在感の乏しいキャラのせいか、生徒会役員への敬意など皆無のひどい扱いで、三つ編みをつかまれたり頬にマイクを押しつけられたりブレザーをひん剥かれそうになったり。


「ゃぁっ、ちょ、ちょっと」


 凰華があわてて割って入る。


「緋奈乃さんに触らないでください! 落ち着いて! 17時から記者会見しますから!」


 後ずさってソファの裏に隠れたぼくは、凰華と竜胆が二人がかりで餓狼の群れを廊下に押し戻す様をそっと見守り、激しい不安に苛まれていた。

 日常的にこんな目に遭いながら、寄ってくる連中の中にスパイがいるかどうか探るなんて、どう考えても無理では……?

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