天嬢天華生徒会プリフェイズ

2 その③

 遅まきながら気づいたのだけれど、生徒会室の左手奥に控えめな大きさのドアがあり、今はそこが開いて小さな人影が顔をのぞかせていた。

 ちんまりと小柄な少女だった。

 月面の砂みたいな不思議な色合いの髪を、首にかけたヘッドフォンで大雑把にまとめ、だぶだぶの白衣を羽織っている。凰華や竜胆と同じ制服姿なのでこのアルケリリオン女子学舎の生徒なのだろうけれど、中学生どころか小学生でもおかしくないくらい幼い風貌だ。地球上のどこの土地にいてもエキゾティシズムを感じさせそうな不思議な顔立ちをしている。


「さわぐならよそに行って! それか喉を潰しなさい!」


 めちゃくちゃ物騒なことを言う子だった。


「ごめんなさいアルテちゃん」


 凰華はばつが悪そうにはにかみ笑いをして両手を合わせる。


「でも、待ちに待った先生が来てくれたんです。アルテちゃんもご挨拶しませんか」


 アルテ、と呼ばれたその少女は、警戒の色をありありと浮かべた目つきでこちらにゆっくり近づいてきた。ぼくを上から下までにらみ回して言う。


「ぜんぜん教師らしく見えないけど」

「うん。ぼくもそう思う」空気を和ませようと冗談めかして答えた。「もう二十六歳なんだけどしょっちゅう学生に間違えられる」


「そのぽよぽよした変な喋り方のせいじゃないの。なんなの『ぼく』って、それわざとやってるの? もうちょっと大人らしくしたら?」


 辛辣!


「これは、うぅん、なおそうとは思ってるんだけど癖になっちゃってて」

「先生はそのままでいいんですっ!」


 凰華がなにやら必死な様子で横から言う。


「先生が眼鏡にスーツでキリっとして『私がこれからあなたたちを厳しく指導します』なんて言ってきたりしたら――あれっ? これはこれで最高に素敵ですね!」


 どっちなんだよ。


「おーかはまたそうやって自分の趣味だけで人を連れてきて……」とアルテは横目でにらむ。


「もちろん趣味ですよ! 王族はこの世でいちばん高貴な趣味ですから!」


 凰華は大いばりで言った。


「アルテちゃんを見つけたときも絶対にわたしの王室に迎え入れるんだって心に決めて幼稚舎に通い詰めてお願いしましたものね」

「あれはすごくはずかしくて迷惑だった」


 アルテはぶすっとした顔で言う。その絵面を想像してみる。犯罪では……? いや、アルテ嬢が幼稚舎にいた頃というと凰華もおそらく小中学生だから許される? ううん……。


「とにかくわたしたち生徒会執行部にもようやく顧問の先生が来てくださったんです。今日という日を国民の休日にしてしまいたいくらいです!」


 そう言って凰華はアルテの小さな身体を後ろから抱き上げて左右に振り回す。アルテは迷惑そうな顔こそしているものの、振りほどいたりはしない。仲は良い――のかな。


「ていうか、顧問? ぼくが?」

「はい! あっ、言っていませんでしたっけ」

「うん、初耳。顧問っていわれてもなにやればいいのか」


「後ほど詳しくご説明いたしますけれど、日々の細かい業務に関してはアルテちゃんに訊いてくださればきっと色々やさしく教えてくれると思います。ね?」


 アルテを抱えたままの凰華は、ぎゅむっと頬を頬に押しつけて言った。仏頂面でされるがままだったアルテもそこでようやく腕をつっぱって凰華から逃れ、白衣の乱れを手で払って整えるとぼくに目を戻す。


「……書記。七星ななぼしアルテミシア」


 ぶっきらぼうにアルテは自己紹介してくれた。


「事務全般やってる。おーかもりんどーも細かい仕事は全然だから」

「アルテはほんとうに有能なんだ。私の服を着せるのも毎日やってくれる」


 いやそれは自分でやりましょうよ竜胆さん?


「せんせーもどうせ学園のことはよく知らずに来たんだろうから資料をまとめてある」


 そう言ってアルテは奥の部屋に取って返すと、顔が半分隠れるくらい高い書類の山を両手で抱えて戻ってきた。

 ソファセットのテーブルにどんと置く。


「まず食事。アルケリリオンの学食はレベル高いけど値段も高いから、近辺の地区でおすすめの安い店を冊子にまとめてある。あとメニューは一切選べないけど料理部はいつも試食役を歓迎してる。自炊は寮の設備では無理。生徒会室なら炒め物揚げ物とかじゃなければ可能。次は寝具。せんせーはそんなに背丈ないから大丈夫だろうけどベッドのサイズが合わなかったらすぐにあたしに言って。シーツは週に一回洗濯業者が交換に来るから――」


 写真や図解入りでみっちり詳細に説明してあり、新生活への不安は薄らいだものの憶えきれるだろうかという別の不安が頭をもたげる。

 あまりにも分厚すぎたせいで、書類の山が傾き、崩落した。

 あわてて支えてテーブルに押し戻したけれど、一冊の冊子が山の中腹から滑り出してぼくの足下に落ちる。

 表紙には『先生歓迎会のしおり』と書かれていた。


「――あっ、こ、これはッ」


 アルテがぼくを押しのけて冊子をひったくるように拾い上げ、背後に隠した。


「これはちがうの! 部外秘! おーかとりんどー用に作ったやつ! せんせーは見ちゃだめだから!」


 顔を真っ赤にして言い張るのだけれど――


「ごめん、見えちゃった……」

「忘れて! もっと大事なこと憶えるのに頭使って! 全生徒の名前とか!」


 いきなり高すぎるハードルだった。教師だからそれくらい当然かもしれないけど。


「……生徒って学園ぜんぶで何人いるの?」


 凰華が誇らしそうに答えた。


「確認できているだけでおよそ二十八万人ですね」


 ぼくの試算はだいたい合っていた。気が遠くなりそうだった。

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