続・ツッコミ待ちの町野さん
#55 聖女でもある町野さん
八月を目前にして、夏が本気を出し始めた。
夏休みなのに毎日学校へ通うのは、部室という広い空間にドミノを並べるため。
それが僕のアイデンティティとはいえ、玄関を開けた瞬間に登校をためらう日もある。
「それでもまあ、なんだかんだで部室まではきたけど……」
あまりに暑くてやる気が起きず、僕は並べた机の上に横たわっていた。
「なにしに学校へきたのか……」
エアコンを「強」にしつつぶつくさ言っていると、ふいに引き戸を開く音。
「ショートかわいい、わたしに会いにきたんじゃない?」
顔を上げると、ちくわの穴でハートを作った競泳水着の女子がいた。
こんなに暑い日も元気そのもので、基礎体力の違いを痛感させられる。
「いらっしゃい、町野さん。結果的にはそうなってるね」
実際、町野さんのショートカットはかわいいと思う。
僕は「妖怪ポニテ観察」と言われたくらいで、ポニーテールへの未練がないわけではないけれど、それはそれだよと思えるくらい、町野さんはショートが似あっていた。
「素直じゃない上に元気もないねえ。夏バテ?」
「どうだろう。僕が元気な日なんて、年に四日くらいしかないし」
「卑屈。そしてかまってくれないと退屈」
「この部室には、ドミノ牌という最高の遊び道具があります」
「んー……そだね。久しぶりに並べてみようかな」
僕の眼下で、町野さんが床に座ってドミノを並べ始めた。
「なんか……いいかも」
「あーね。二反田、水着のJKにドミノを並べさせて興奮する癖だもんね」
「そんなの僕だけじゃないよ!」
「認めたっ!?」
「誤解だから説明させて。トンカツが好き。カレーが好き。じゃあカツとカレーを組みあわせたらテンション上がるよねって意味だから」
「そっか。水着とJKが好きなんて、男子高校生としてノーマルだもんね」
「そこじゃないよ! 僕が好きなのはドミノと……」
「ドミノと?」
町野さんの口が、「ω」の形でふよふよしている。
「ドミノを並べる人です」
「ちっ。まあ後輩を欲しがってたもんね」
「ところで町野さん。久しぶりのドミノはどう?」
「トッピングはピクルスだけみたいな、突き抜けたメニュー好き」
「ピザの話ではなくて」
「ショートがコトンと……はい。並べ終わった」
どれどれと起き上がって見ると、床にドミノ牌であみだくじが描かれている。
「斬新……あと並べるの早いし、うまい」
線が四本の小さなあみだだけれど、はしご部分の処理には手間がかかっていた。
「ずーっと、二反田が並べてるの見てたからねえ」
「……球技大会の前に、バレーボールを動画で学ぶようなものだね」
「いま一瞬、『きゅん』ってなっちゃった?」
町野さんが目を三日月形にして、ニヤニヤしている。
「あみだくじだから、当たりがあるんだね。当たるとどうなるの?」
「わたしの髪が伸びる」
「妖怪ポニテ自在……まあウィッグとかあるもんね」
「どうする、二反田?」
もちろんやるよと、机から降りて床にひざをついた。
「じゃあ、左から二番目で」
毎日ドミノを並べているけれど、人が並べたものを倒す機会はない。
貴重なファーストタッチを失敗できないので、僕は慎重に指で牌を押した。
「おー、うまくいってる」
パタパタと軽快にドミノが倒れ、町野さんも身を乗りだす。
「うん。問題なさそうだね」
そうしてドミノははしごを右往左往して、最後に当たりの黄色い牌を倒した。
「おめでとう、二反田。無事に髪が伸びました」
「えっと……?」
「舞台は三年後。わたしたちは半同棲カップル」
「やっぱりコントだった」
元のポニテの長さに戻るのは、そのくらいかかるということだろう。
「今回はコントじゃなくって、空想大会だよ。その頃はたぶんふたりとも大学生だし、ちゅーとか当たり前にしてるんだろうなー」
「……大学生と言えばラーメンだよね。僕は毎日、ニンニクの匂いを漂わせるよ」
「同棲なんてしちゃってたら、お風呂も一緒で」
「ああ忙しい。ゼミにレポート、サークルにバイトで毎日風呂キャンセルだ」
「大学には『ドミノ研』あったけど、二反田なじめなかったね」
「そういうリアルなのはやめて……!」
「バイトもアプリの単発だから、コミュニケーションゼロだしね」
「リアルに輪をかけるのやめて……!」
「高校みたいに簡単に友だちできないから、話し相手もわたしだけで」
「勉強だ! 僕は物理を学んで、ドミノの新しい扉を開ける!」
「えー、一限サボろうよー。お布団で、だらだらしようよー」
「はい朝食。布団から出る。顔洗ってポニテって。スマホ持った? 行くよ」
「……ほう」
「なんで『いいかも』の顔なの! ここは『生真面目ぼっちとの同棲なんて、もうこりごりだよ~』って、丸抜きの中でトホホするシーンだよ!」
町野さんの口が、「ω」の形になった。
「同棲はともかく、二反田とルームシェアしたら楽だろうねー。メリットだらけ」
「ルームシェアって、家事は分担しないと思うよ」
「リビングにドミノ並べていいから、ごはんと掃除お願い」
「……わりと検討に値するかも」
「旅行のときもさー、みんなであれこれするの楽しかったよね」
言われてみれば、たしかにルームシェアの雰囲気はあったかもしれない。
「そういえば、今年は花火どうする?」
「みんなで行こ。六人だと場所取りしないとね」
「次から次に予定が入るの、最近のゲームのクエストみたいで楽しい……ね」
なんだかふいに、体が重くなった。
「二反田ちょっと! 顔色悪い。横になったほうがいいよ」
町野さんの声のトーンが、真剣味を帯びている。
「えっと……まじめなやつです?」
「うん。熱中症かも。ほら、水飲んで。飲んだらおいで」
町野さんに手をひかれて、並べてある椅子に寝かされた。
気づけばひざ枕されているけれど、ドキドキよりも心地よさがある。
「なんか、ごめん。体力なさすぎで」
「黙って寝る。はい塩アメ。少し横になって回復したら、今日は帰ったほうがいいよ」
「……そうします。町野さんは、部活に戻って」
「これ以上に余計なこと言うと、癒やし系お姉さんボイスで耳かきするよ」
じゃあそんな面白いこと言わないでと、表情だけで抗議した。
それからしばらく、目を閉じて横になる。
体が揺れていたような感覚が、徐々になくなってきた。
「ありがとう、町野さん。もう大丈夫」
ゆっくりと体を起こして、町野さんの隣に座る。
「二反田。帰るとき気をつけるんだよ。やばそうだったら日陰で休んでね」
「うん。リビングでドミノ以外にも、町野さんとルームシェアするメリットあるかも」
「そんなに、ひざ枕よかった?」
「看護スキルね。すごく安心できました」
母というか、聖女というか、弱っている人間の扱いがうまくて。
「やだなー。人をメリットデメリットで判断する感じ」
「どの口で言ってる!?」
町野さんの「ω」の口が、口角が上がって「)」になった。
「おっけー、回復確認。じゃ、部活に戻るね」
「あ、うん。本当にありがとう」
部室を去っていく町野さんに手を振り、帰り支度を始める。
猛暑に登校するとろくなことがないけれど、猛暑に登校したかいはあった。